ベビーソープ
取材の記者がうろうろしなくなったので、俺とは本宅に帰った。
にも言ったとおり、このマンションはデートの場所であり、家族と言う枠から離れて恋人になる為の大事な場所として、これから使うことにした。
婚約したといっても正式な披露目はの大学卒業を待ってだし、結婚となればそれから1年か2年後ということになるだろう。
ともかくしばらくは今の状態と言う事になる。
外で普通のデートをするだけならいいけれど、ホテルをその度に利用するのは、人目に立ちすぎる。
やっぱりマンションを買っておいてよかったと思った。
俺は正直言うと、パーティへの出席は好きな方じゃない。
まあ、立場上そうも言ってられないのが本当のところだが・・・。
今まで、義姉さんの都合が悪い時で、兄貴も駄目な時には、と一緒にパーティに出たことが何度かある。
それは、義姉さんの妊娠中や橘が小さい頃の話で、最近では随分とそのピンチヒッターも少なくなって来ていた。
だから、と一緒にパーティに出かけるのも久しぶりになる。
でも、今まではあくまで保護者の立場でのスタンス。
仲がいいのは本当だけれど、邪推されないようにと気を使った。
マナー以上にの身体に手をかけない。
2人だけにならないように、常に誰かと同席する・・・などなど。
それは、まだ未成年のを守るためであり、兄貴や義姉さんの面目を立たせるためだった。
だけど、今夜のお出かけからまったく違う。
兄貴と義姉さんの許可がもらえた以上、もう気持ちを隠す必要なんかない。
堂々と婚約者として振舞えると思うと、自然に口元がゆるむ。
パーティに出ると、は必ず未婚の男性から声をかけられる。
しかも複数だ。
春野の名は世界で通用するようになってきたし、はそのグループの会長である兄貴の義理とはいえ、一人娘。
彼女を射止めれば、逆玉もいいところだろう。
まして、逆玉の輿に乗ること以上に、には魅力がある。
だから、春野と同等かそれ以上の企業の御曹司や社長まで、には興味を示すことになるわけだ。
学生のがパーティに出る事は少ない。
それがの注目度を上げている。
その近寄ってくる男共をけん制するのに、今までは歯がゆいほどに神経を使った俺だ。
けれども今夜からは『私のにそれ以上近寄るな。』と、言って追い払える。
それを口に出来るのがこんなに早くなったのは、あの女性週刊誌の記事のおかげでもある。
「災い転じて福となす・・・って所だな。」
ネクタイの曲がり具合を直して、鏡の中の自分に薄く笑ってやった。
身支度を整えて玄関ホールへと出てゆけば、いつもなら見送りに出ない兄貴や橘までが、のそばに立っている。
俺の登場にいち早く気づいたのは他ならぬライバルの橘。
「おい、左近。本当はお姉ちゃんは僕がお嫁さんにもらううんだったんだぞ。
だけど、お姉ちゃんがどうしても左近がいいっていうから、僕は弟だけで我慢することにしてやったんだ。
そこのところ、ちゃんと分かれよ。
お姉ちゃんは左近の婚約者って言うのになるらしいけど、何時までも僕の大事なお姉ちゃんなんだからな。」
腰に両手を当てて胸を思いっきりそって橘は俺にそう言った。
その後ろで、兄貴と義姉さんが笑いたいのを我慢したような顔をして、こちらを見ている。
は「ありがとうね、たっちゃん。たっちゃんも何時までも私の可愛い弟だよ。」
って、橘の頭を撫でている。
「お姉ちゃん、左近のやつがいじめたら必ず僕に言うんだよ。僕がお姉ちゃんを守ってあげるからね。」
小さいながらに恋する男は一人前の台詞をはくもんだ。
兄貴が肩をすくめて俺を見た後、橘の身体を抱き上げた。
「橘、大丈夫だよ、左近はちゃんを大事にするさ。なあ、左近。」
その言葉に橘が俺を見てにらむ。
「あぁ、約束する。」
「ほらな?」
「うん。左近、男の約束だからな。ちゃんと守れよ。」
「おぅ、忘れないさ。」
俺の言葉にようやく橘の顔に笑顔が登った。
それにしても、もし俺がを泣かすようなことにでもなったら、きっと橘だけでなく兄貴も義姉さんも俺を許しはしないだろう。
今でさえ、なんだか分が悪いのだから・・・。
「ほら、時間よ。」
そこから俺を救い出すかのように、義姉さんが俺たちをうながす。
「じゃ行くか。」
俺はの手を取って玄関を出た。
「俺の味方がここまでいないとなると、情けないよ。」
リアシートに身体を預けて、に泣きを入れてみる。
今夜はお酒を飲むから、運転手付きの俺の車を使うことにした。
クスクスと可愛く笑う彼女に、凹んでいた気分も元通りになる。
「私が味方じゃご不満?」
「いいや、それこそ一騎当千だ。ありがと。」
化粧が崩れるといけないから、頬に触れるだけの軽いキスをした。
会場になるホテルに着く。
ロータリーを回って正面に車がつくと、ドアマンが車のドアを開けてくれた。
今夜の主役はだからと、「このまま待ってろ。」と言いおいて、後部座席から降りると車のリアを回り、彼女の手を取るために急いだ。
ドアマンもそれを察して、身を引いてくれた。
「さ、お手をどうぞ。今夜からはどんなに甘くしても大丈夫だから、今まで我慢していた分を思いっきりやらせてもらうぞ。」
を下車させながらニヤリと笑う。
困ったようにが笑い返してくれて、駄目とは言わないことが幸せな気分にしてくれた。
手を取ったときにキラリと左手薬指の上で、俺の贈った指輪が光った。
自分がに贈ったのだから、彼女がつけていて当たり前なのだが、それがとても嬉しい。
何をしても、何を見ても嬉しいのは、自分でもお目出度い奴だと思う。
がじっと見ていることに気づいて、左手をそっと俺に見える位置まで持ってきて見せる。
「これからは出来るだけ着けて出かけなさいって。大学やお買い物なんかはちょっと無理だけど、左近ちゃんが一緒にいるときは、着けていようと思って。」
「うん、そうして。」
きちんと隣に立ったのを確認して、左ひじをわずかに身体から離して、腕を組めるようにしてやる。
すぐに、の細くしなやかな手が、俺の腕に心地よい重みを加えた。
エレベーターに足を運んで箱に乗る。
たまたま誰も乗り合わせなかった。
腕が絡んでいる左でそのままの腰に回して引き寄せた。
いつもより頼りなげに俺に倒れる。
「ヒール、無理してないか?」
「うん、大丈夫。いつもと同じ5センチくらいのをはいて来たから。」
「足が痛くなったら言えよ、すぐに帰るから。」
「ありがとう。足より心臓がもたないかも知れない。パーティだって、ドレスだって初めてじゃないのに、なんだかこの指輪のせいか、ドキドキしちゃって。」
可愛い発言に、このままホテルに部屋を取りたくなる。
まったく何処まで俺を虜にするつもりだ。
ため息が出そうになるのを、グッと堪えた。
「俺がいるんだ心配するな。」
もう、頬にもキスしない方がいいだろう。
そう思って、仕方なく耳の後ろのうなじに近い場所に唇を寄せた。
ふわりと香ったのは、爽やかな石鹸に近い香り。
そのらしさに、なぜか安心した。
「何か言われたら、左近がどうしても結婚したいと言って、駄々をこねて口説かれたので仕方なく婚約しました・・・って、堂々と言えばいいさ。本当の事だしな。」
うなじへのキスの合間に、そう言ってを笑わせた。
婚約したからには、は俺のもの。
何者からも俺が守ってやれる。
そう思っていた。
だが、数時間後の俺は、その考えが甘かったと気づく・・・。
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2006.09.30up
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