Dubious move 5




病院に着くと車を降りて、院内の廊下を祐樹君のいる病室へと向かう。
まだ夜明けには時間があるせいか、人影は見当たらない。
照度を押さえた廊下を私は龍介と鷹介に支えられて歩いた。
聞いていた病室の前に立つ。
ドアには『面会謝絶』の文字。
中からは何かの電子音が正確なリズムを刻んでいるのが聞こえる。
私は首を振って、その中へ入れないと両脇の2人に伝えた。
龍介が私から少し離れて、ドアを静かに2回叩いた。
叩くというよりも爪の先で突いたように聞こえた。
ドアノブが回り、中から人が1人出て来てくれた。
祐樹君のお母さんだった。
彼女は私の顔を見るなり手をつかんで
「ありがとうございます。」と、頭を下げた。



「祐樹君は?」
横から龍介が尋ねてくれた。
「えぇ、今は小康状態です。
時々目が覚めるんです。
そしてベッドの周りを見て私を見つけると微笑んでくれます。
くれますけれど、期待していた何かが見つからないように見えるんです。
きっとさんのことだと思うんです。
だから、祐樹に黙って電話を・・・・。
お話したと知れればきっと怒られるでしょうけれど、
もう時間がないと言われたので・・・。」
嗚咽をこらえて震える肩。
「じゃあ、ここは僕たちが見ていますから、
少し自宅で休んでこられたらいかがですか?
鷹介頼む。」
「ん、さあ。」
鷹介が加納さんを促して、玄関へと向かった。
「何かあったら電話下さい。」
そう一言残して加納さんは、鷹介の後を追った。



それを見送って私と龍介は静かに病室へと足を踏み入れた。
ベッドが2つ並んだ奥の方に、祐樹君が横になっていた。
枕許には電子音を正確に鳴らす機械。
壁に埋め込まれているパイプにつながれたチューブからは、
酸素が出ているのか祐樹君の口元にかぶせてある透明なマスクにつないである。
左腕には点滴からチューブが伸びて来ている。
これだけのことをしようとすれば、とても自宅では無理なのだろう。
それで入院したんだと思った。
加納さんの言うとおり、祐樹君は静かに眠っているように見える。
電子音が彼の心臓の鼓動を知らせるものだとしたら、
間違いなく彼は生きている。
龍介に押し出されて、祐樹君の枕許まで近寄った。
先ほどまできっとここに加納さんが座っていたのだろう、丸椅子が1つ足に触った。
立っていられなくて、自然とその椅子に腰をかけた。
龍介はそれを見届けると、私から離れた所にある椅子に腰をかけた。



身体は移動の疲れと睡眠不足を訴えている。
それなのに、私は今、その疲れに身を任せることが出来ない。
目も頭もさえている。
それなのに、することがなくて戸惑う。
祐樹君にせがまれて、私は時々スケッチなどの指導をしていた。
なぜか今それを思い出して、自分のバックから横開きのスケッチ帳を取り出した。
祐樹君の眠っている横顔を鉛筆で写していく。
前に会った時よりは少し痩せた頬を描き入れる。
私の視線が祐樹君の意識に触れたのか、
目蓋がピクッと動いて薄く開けられた。
天井を確認するように眺めると、その視線がベッドの回りをぐるっと探って、
私にたどり着いて止まった。
「おはよう、ずいぶん早起きね。」
いつものようにさりげなく声をかける。
「もう朝?」
酸素吸入の為のマスクがあるからか、くぐもってかすれた様な声が、
私に返事をしてくれた。
いつものうれしそうな笑顔付きで。



「もうすぐ明るくなると思うよ。
お母さん、自宅に用事があって少しの間帰られたから、
その間は私と龍がここにいるからね。
安心して。」
私の言葉にこくんとうなずいた後「母さんが連絡したんだね。
みんな忙しいのにごめん。
だけど、母さんがそうしなければならないほど、時間がないんだね。」
私に向けていた顔を、天井に向けて祐樹君は目蓋を閉じた。
何を言えばいいんだろう?
ここでどんなに私が言いつくろっても、祐樹君には嘘だと分かってしまうだろう。
だからと言って本当のことを彼に告げる気にもならない。
真実を知ったとしても何も救いになどならないのだから。
私はただ黙って祐樹君の横顔を見つめていた。



「お願いがあるんだ。」
彼は再び私に視線を戻して、真っ直ぐに見つめてきた。
「何?」
「龍介さんにも聞いて欲しいんだ。」
その言葉に龍介が立ち上がって私のそばに来た。
だけじゃなくて僕にもか?」
「うん、龍介さんだけじゃなくて鷹介さんにもなんだ。
でも、ここにいないから後で2人からお願いして。」
「分かった。」
龍介が了承するのを聞いて、祐樹君が呼吸を整えてつばを飲み込んだ。
「僕、今度生まれ変わるとしたら、さんのところがいいんだ。
お母さんはもうあの年だから、もう一度生んでくれとは頼めないからね。
もし、生まれるところを選べるんだとしたら、さんの子供になりたい。
これでも一通りのことは知っているつもりだから、
さんだけに頼んでもだめでしょ?
僕を生んでくれないかな・・・・・駄目?」
こんな切ない願いってあるものなのだろうか。
涙を見せないって誓っていたのに、その誓いはあっけないほど
簡単に破られることになった。



「泣かないでさん。
僕も死ぬのは嫌なんだよ。
だけど、今の僕の命は病気に負けてしまったみたいだから、
もうどうしようもないってことは分かってる。
こんな僕を神様が可哀想だと思うのなら、
きっとひとつ位願いを聞き届けてくれると思うんだ。
そしたらさ、さんたちの子供に生まれたいって願うから、
僕を生んで欲しいんだ。
僕だけの願いじゃ弱いかもしれない。
だから、さんも願って欲しいんだ。
『祐樹、私の子供に生まれておいで』ってね。」
祐樹君はそう言って掛け布団の中から手を出して私に差し出した。
その手を恐る恐る握った。
「もし、龍介さんたちと別れるようなことがあったとしても、
子供だったら僕は一生さんと別れられない。
そして、龍介さんたちとは違う愛情をさんからもらうことが出来る。
僕のことが好きなら、お願いだから約束して欲しいんだ。
生まれ変わる僕を生んでくれるって。」
握っていた手が少し動いて、小指を1本だけ立てて私に差し出す。



戸惑う私の手に龍介の手が重なって、祐樹君の小指に私の小指を絡ませた。
「祐樹、僕たちのところに生まれて来い。
こんなにを泣かせたお前が、このまま泣かせ逃げするのは許せない。
今度は、そのお詫びにの笑顔を作ってやらなきゃな。
僕たちとは違う幸せをに与えてやるんだ。
僕はと一緒に約束する。」
涙が止まらない私の代わりに龍介が祐樹君に誓ってくれた。
「ありがとう。」
そのまま3人で指切りをしていると、祐樹君は眠りに引き込まれていった。
心配になって見上げた私に、龍介は「大丈夫、薬が効いているんだ。」と、
肩を抱いて落ち着かせてくれた。
人はいろんな願いを持つ。
その夢をかなえる為に。
もし、神様がその願い全てに耳を傾けているのだとしたら、
祐樹君の願いはきっと叶うと思った。



私たちは、そのまま本家に逗留して、祐樹君の容態を見守った。
約束した日から数日後。
祐樹君は帰らぬ人になった。
あの約束を私たちに残したまま。



だびにふされる祐樹君の天に上る白い煙を見上げた。
私の両隣には龍介と鷹介が同じように青い空を見上げている。
「行っちまったな。」
鷹介がポツリとこぼした。
その寂しい声に鷹介と手をつないだ。
鷹介の手首から念珠が滑り落ちて2人の間で揺れた。
同じように龍介とも手をつないだ。
「祐樹君、待ってるよ。
私たち貴方が可愛い赤ちゃんになって私たちの元へ来るのを待ってる。
約束、忘れないからね。
必ず守るからね。
祐樹君。」
煙に向かって語りかけた。
散々泣いて赤くなった瞳は、もう涙が枯れたと思っていた。
けれども、まだ泣けるらしい。



両手を離して振り返ると、2人のそれぞれの腕を抱くようにして
2人の肩に半分ずつ身体を預けた。





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2005.12.21up