夏越祓(なごしのはらえ)




神社の夏の祭祀のひとつである夏越の祓えは、本殿のある神社ではなくて御旅所と呼ばれる場所で行う。
御旅所とは、祭礼で祭神が巡幸するとき、仮に神輿(みこし)を鎮座しておく場所のことだ。
それは、この宮の御旅所が市内で一番大きな川のほとりに建てられているからだ。
夏越の祓えで使われた形代を船に乗せて川に流す。
それが祓えの最も重要なことだから、ここを使うらしい。
身体の穢れ(けがれ)を流して、夏を無事に過ごすのがこの祭祀の目的だ。



僕は母の実家が宮司なので、何かの祭礼の際には必ず手伝わされる。
本来なら母が婿養子を取るべきところを、父に嫁いだため、現在の宮司家には祖父以外に男がいないからだ。
兄弟でも兄や弟とは違い、僕は祭祀が嫌いじゃなかった。
あの空間はどちらかと言えば好きだ。
祝詞の意味やその言霊にこめられた不思議な力も・・・。
なので、祖父にそこを見込まれて、次の宮司になるようにと望まれている。
母も父も同じ事を望んでいるらしい。
そこで僕は、大学を神学科に進み、来春卒業後は母の実家に正式に養子として入ることになっている。



そんな僕は、子供の頃からある一人の少女の事を想っている。
それは学年で言えば1つ下の子で、氏神様である祖父の神社の熱心な氏子の家の子だ。
だから、氏子も参加できる祭礼には必ず彼女の一家の姿が見られた。
学校のある時期は、校内などでいつでもその姿を見ることが出来るけれど、長い夏休みの間は、なかなか姿を見ることが出来ない。
だから、休みに入ってから行われるこの「夏越の祓え」は、彼女の姿を見るためのまたとないチャンスだった。
受付は各町内の総代さんが受け持つから、僕は参拝後のお神酒の所に待機する。
ここなら彼女の姿を、見失うことはないだろうと思ったからだ。



そんな風にして中学生と高校生の間、僕は彼女を見つめてきた。
告白しようかと何度も考えたけれど、あまりにも接点が無かった僕には、その勇気も無かった。
ただ、神社に何かあるたびに必ずその姿を見かけて、それもいつも家族と一緒だったのが、僕には救いだった。
もし、初詣や春の祭礼にでも誰か男と一緒に来たりしたら、それこそ穏やかな気持ちでなんていられなかっただろう。
そうして告白することも無かったけれど、振られることも無く季節は移っていった。



それは昨年の夏のこと。
就職活動をどうするかで祖父に相談したことがあって、その時に養子縁組と正式に跡取りとなることが内定した。
祖父の意向が主になって決まった話だけれど、もちろん氏子の総代数名も話しに加わっていた。
僕から見たら父親と同等の壮年以上の男性たちは、自分たちが氏子であるところの神社に宮司がいなくなることを恐れていたわけだから、僕の話は歓迎して迎えられた。
それならと、その中のお一人が話を切り出して、思わぬところで縁談が持ち上がった。
付き合っている人がいるのかと問われれば、答えは『否』だ。
けれど、意中の人はずっと存在していた。
断ってくれてもいいからと、但し書きをつけたお見合いがセッティングされた。
何とか事前に断ろうかと思ったんだけれど、氏子の中でも有力な人からの話だからと、祖父にも手を合わされてしまっては、頷くしかなかった。
『会うだけなら・・・。』と、もったいぶってその日を迎えた。



その日、神社に祭ってある神様が、僕の事を次代宮司として認め、気に入ってくれたのかもしれない。
目の前の幸運にそんなことを考えた。
いつも神社へ一緒に来ていた母親に付き添われて、清楚なワンピース姿の彼女が僕の目の前に座ったからだ。
「氏子さんの中でもことに熱心な家だし、何度か見かけたこともあるだろう?
年も1つ違いと聞くから、顔くらいは知っているんじゃないのか?」
間に入ってくれた総代さんが話を切り出す。
「えぇ、そうですね。
小学校の頃はさすがに覚えていませんが、中学からは知っていました。学年は1つ下のはずです。」
僕の言葉に向かいの彼女も少し微笑んで頷く。
「だったら話が早い、ここはひとつ庭でも案内して差し上げたらどうかな。
社務所の表はよくご存知だろうが、裏庭はなかなか入れないから・・・。」
「はい、そうですね。よかったらどうですか?」
立ち上がりながら彼女を誘う。
「お願いします。」
母親に横から突かれて、彼女も立ち上がった。
玄関から裏へと回って祖父が丹精している庭に出た。
僕はこのお見合いに乗り気なのだと伝えておこうと思った。
何も伝えないままに振られて断られるのは嫌だと思ったから・・・。



「あの・・・」
「はい。」
「ずっと気になっていたんです。貴女のこと。だから、僕にとってこの話は、まさに渡りに船なんです。前向きに考えてもらえませんか?」
振り返ってすぐ後ろにいる彼女へと話し掛けた。
視線があうと、彼女は心なしか頬を染めたように思った。
わずかに希望がわく。
「せめてもう少し僕を知ってから・・・」
「わ、私も・・・そう思っていました。」
「本当に?」
「本当です。」
思わず確認してしまいたくなるのは、僕ばかりじゃないはずだ。
そして、この幸福感をなんと言って表せばいいだろう。
駄目もとで告白したのに・・・だ。
「デートに誘ったら、断らないでくれますか?」
「はい。」
はっきりとした彼女の返事に、僕は彼女の右手に向かって手をつなごうと左手を差し出した。
重なり合う手と手。お互いのぬくもりが溶け合った。



そして、今年の夏越の祓えには、彼女も僕の婚約者として、接待を手伝うことになっている。
時間を見つけて、2人で茅の輪をくぐろう。
この夏も無事に過ごして、僕の所に嫁いで来れるように・・・。





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2006.06.10up