端午の節句




私は、女だてらに兄の影響で空手を習っていた。
兄が小学校3年生、私が1年生で入門して、兄と一緒に昇級審査を受けていたせいで、同学年の男の子よりも昇級が早かった。
彼は1歳年下の上に、私が小学4年生の時に道場に入門してきた。
だから、彼が白帯だった時には、私は既に4年目に入っていたし、青帯を締めていて、彼の最初の組み手の相手は私がした。
彼の突きも拳もとても弱かった。
2歳上の兄の練習相手を務めていたから、彼は男とは見えなかった。
そう、可愛い後輩だと思っていた。



中学生になると、大人と同じクラスに入る。
だから、中学生からは男女に分かれる。
そのせいで、彼とは私が中学に入学と同時に組み手をすることもなくなった。
練習時間も遅くなるから心配だと、夕方の幼児クラスに間借りして指導を受けた。
中学生の女子の門下生は私だけだったからだ。
だから、彼がどのくらい強くなったかなんて知らなかったし、どのくらい成長して男らしくなったかも知らなかった。
いつも、がんばって・・・と、心では声援を送っていても、それは、可愛い後輩へ向けているものだと思っていたし、口に出すことなんて一度もしたことなんてなかった。



そして、私が高校2年生の春。
彼が私の高校へ入学してきて、私たちは久しぶりに間近で言葉を交わした。
そう、私達の高校には、寸止めと演武が主流の空手部があったらから。彼がそこに入部してきて、私たちはまた先輩後輩になったのだ。
女子は寸止めだけでも危険だからと、演武だけしか許されて無かったけれど。
道着を着て私の前に立った彼は、私の記憶にあった彼ではなかった。
背は私をはるかに超えて20センチは高く、胴回りも腕の太さもそしてその力も私では太刀打ちできないほどのものになっていた。



春の大会の帰り道。
同じ方向だった私たちは一緒に電車に乗っていた。
大会は試合がもつれて遅くなり、心配した部長命令で彼は私を送ることになったのだ。
「こうして先輩と話すのって小学校以来ですよね?」
「うん、そうかもね。中学じゃ空手部なんて無かったから、帰宅部にして置いて道場に通っていたけれど、遅くなると心配だからって、夜の部じゃなくて夕方の子供部に入ってやってたから。」
「あぁ、それで見なかったんですね。もう、止めちゃったかと思ってたんです。」
「止めないよ。だって好きだもん。」
「あぁ、それは見てれば分かります。
相変わらず楽しそうに舞うような所作だから。」
そう言って彼は私を見て笑った。
その笑顔に胸の奥がなんだかキュっと痛んだ。



「舞っている?」
「うん、『演武』なんで当たり前なのかもだけど、まるで舞うように見えるほど、綺麗なんですよね。
流れる水の上を撫でるように手のひらが空を切るって言うか。だから、演武ではダントツなのも分かるなぁって・・・。あっ、俺、余計な事を・・・・。」
彼は大きな身体を縮こませるようにして背中を向けると、「すいません。今のは忘れてください。」と、背中越しに謝ってきた。
「そんな風に見えてるんだ。ありがと。うれしい。」
恥ずかしがって背中を向けてしまった彼に、そう言った。
私だって、彼が背中を向けてくれているからこそ言えた言葉だ。



「うれしいって、ホントに?」
彼はうれしそうな顔をして振り返った。
「えっ、うん。それに私のことばっかり言うけれど、自分だって相当なものじゃんか。」
そう言って軽く靴の先を蹴ってやる。
「それは・・・。」
「それは?」
「それは、いつまでも先輩に負けているのは男としてどうかと思って、今度一緒に組み手をする時には、先輩の精一杯の力でやって欲しいと思ってて。それでがんばったって言うか。
でも、駄目でした、けどね。」そう言って今度は曇った笑顔。
「何で駄目だったの?」
「や、中学からは男女が分かれるって知らなくて、俺が先輩に帯色が追いついたら・・・・って思ってたんだけど、その前に組み手をすることが出来なくなったわけで・・・。」
「あぁ、確かに。じゃあ、駄目ってわけじゃないじゃん。」
「それに、男と女って全然違うじゃないですか。体の大きさや力の強さなんかが。
だから、もし今の先輩の力いっぱいで俺に当たってくれても、男女の違いは埋められないから。
ガキの頃に感じた力量の差をどうにかしたいと思っても、もうどうしようもないでしょ。」
彼の言葉に答える言葉をうまく選べなくて、右下斜め45度へ視線を泳がせた。



電車は私達の最寄り駅に到着して、私たちは人の流れに乗って、そのまま改札を抜け家の方向へと足を向けた。
日曜日の夕方。
それも黄昏もだいぶ暗い時間帯。
道路には人影も無い。
「それに俺、もう先輩に負けたままでもいいかな・・・っと。
そう思うことに」
「したの?」
「ま、そういうことになりますね。」
少しの間、黙って歩いていた彼が、不意にさっきの話の続きを話し始めた。
「どうして?」
「うん、子供の時に感じた差は、もう取り戻せないわけですし。あきらめます。さっきも言ったけど、俺たち一緒じゃないですからね。」
「男女の違いがあるから、私がどんなにがんばっても・・・。」
「ん、そうです。俺には勝てないと思います。
それに、武道をやっている者が、力で女性を負かしたって自慢にも何もなりませんよ。そんなのは、ただのエゴです。
『負けてる』って言うのとはちょっと違うんですけど、今も俺は先輩に適わないです。それは、つまり、力とか技の話じゃなくて。」
「何の話?」
「えっと、つまり・・・。」
彼は、私から顔を逸らして、言葉に詰まった。



彼を見上げると、逸らしてはいても短髪の横顔が見えた。
暗がりでのことなので、はっきりとはしないけれど、見えている耳や頬がほんのり赤くなっているような気がした。
それって、つまり、そういうことなのだろうか?
思い浮かんだ答えに、まさか・・・と言う思いがわく。
「俺が、部で誰よりも強くなったらにします。今のままじゃ、ちょっと言えないです。」
にらむ様に私を見て、そう言い切った。
「待ってて下さい。」
その勢いに思わず首を縦に振ってしまった。



それはいつのことになるのだろう?
少し不安になった。
それでも彼はきっとがんばるに違いない。
私は彼が強くなることを願いながら、そばで見守ろうと思った。





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2006.05.10up