立 春
東風解凍
(はるかぜ こおりを
とく):東風が厚い氷を解かし始める
今度の席替えで、僕の隣には氷の女王が来た。このあだ名が意味するものは彼女そのもの。
彼女は本当に綺麗で、スタイルもいいし、ついでに言うなら頭もいい。それなのに表情に乏しくて、情け容赦が無い。
そう、まるでアンデルセンの童話に出てくる雪の女王のようだ。
雪の女王はまだ幾分感情がある。
可愛い子供をさらったり、その子が退屈しないようにおもちゃを与えたりするのだから。
でも隣の彼女はそれをさらに上回ると言うので、氷の女王と呼ばれている。そんな彼女だからこそ、男の征服欲をあおるのだろう。彼女はあだ名からは想像できないほど、もてまくっている。
でも、噂ではけんもほろろに振られるらしい。
それは本当に情け容赦のかけらも無くて、ますますそのあだ名に磨きがかかると言うものだ。
そりゃ、中には力ずくでと考える馬鹿もいるらしいけれど、彼女もそこのところはぬかりがなくて、合気道をたしなむらしい。
噂では有段者の腕前で、大の男でも軽く腕をひねられて痛い目にあうという。
噂が噂を呼び、彼女はすっかり高嶺の花に落ち着いている。
まあ、手折ろうとする男には厳しいが、それ以外のクラスメイトにはいたって普通の態度みたいだから、隣の席になったとしても投げ飛ばされるようなことはないだろう。
俺はそんな高望みは抱いていないし。確かに毎日彼女の横顔を見たり、日常会話や仕草を見られる席というのは、誰かに替わってくれといわれても断るだろう。
そのくらいには気に入っている。時には彼女のため息を聞いたり、貴重な笑顔も見られるから。
その日、俺は運悪く風邪をこじらせた。
家を出た時にはそれほどではなかったけれど、授業が始まるころにはすっかり熱で頭が正常に動かなくなっていた。
保健室へ行くか、それとも早退するか。
ゆだった脳で考えた結果、保健室で寝て楽になってから帰ろう・・・、とにかくそう結論づけた。
だって、もうすごく眠かったし、しんどかったから。
隣の席の彼女にその事を伝えて席を立つ。
彼女の「大丈夫?」と言う声も、水の中で聞いて言うようにくぐもってはっきりとはしない。
それでも、何とかそれに頷いて教室を出た。ちょうど授業に来た担任に会う。尋ねられてそれに簡単に答えると、額に手を当てられた。
「おぉ、確かに熱があるな。まあ、このまま帰るのはしんどいだろう。
少し楽になるまで、保健室で休んでから帰れ。」
「ども。」
礼もそこそこに保健室へと向かう。
いつもなら軽快に下りる階段も渡り廊下のスノコの隙間もどれもが難儀な障害になってくる。
時々息を整えて何とか保健室にたどり着いた。熱を計った先生がとりあえず横になるように言ってくれる。
額に熱取りシートを張ってその心地よさに瞼を閉じた。すぐに睡魔が襲ってきて、俺は意識を手放した。
すぐそばで誰かの気配がする。
熱に浮かされていると言っても自宅の私室のベッドとは違って、どこかで警戒心が働いたのか意識が浮かび上がって来た。けれども瞼は重い。
誰がいるのか目で確認したいけれど、瞼が開かない。
「大丈夫?」
小さい声でそっと呼びかけられた。
その声は教室で最後に耳にした彼女のもの。何とかその声に応えようとして薄目を開けた。
目の前には心配そうな彼女の顔。氷の女王でもそんな表情するんだな・・・・と、のんきにそんなことを思った。
のどが熱で渇いているのか声がうまく出ない。彼女を安心させようと布団の中から片手を出して頷いた。
これで大丈夫なことが伝わればいい・・・・と。彼女が俺の手を自分の両手で包んでくれた。
俺の手が熱で熱いからか、彼女の手がとても冷たく感じた。
あぁ、氷の女王の手はやっぱり冷たいな。そんなことを頭の隅で思った。
彼女の手の中は気持ちいい。
優しく撫でてくれるのも気持ちが落ち着く。
手は冷たくても昔から言うように心は温かいかもしれない。
それなら、雪より硬くて冷たい分氷の方がより暖かいのかもしれない。
俺、いつの間にか彼女を好きになってたんだなぁ。
こんな風になってみて初めて分かったなんて、なんて馬鹿野郎だろう・・・・俺って。
彼女がこうして保健室まで来てくれて、手を握ってくれている理由を聞かなければならないと、はっきりして来た脳が俺にうながしてくれた。
「なぁ、どうしてここへ?」
「起こしちゃって、ごめんなさい。
でも、心配だったから様子を見に。」
「隣の席ってだけの男に、そんな顔と態度して見せたら誤解させるって。」
手を引っ込めようとした。
自分に都合よく解釈してしまいそうで怖かった。
無理に引けば彼女の手の中から俺の手を出せる。
けれども今更ながら自分の気持ちに気づいた俺には、そんなことは出来なかった。
いや、したくなかった。
だから、彼女の弱い力に引きとめられてしまう。
そうしている間に彼女の手が、俺の熱でだんだんと温かくなって行く。
熱が吸い取られていくと言うよりは、俺の熱が彼女に伝わっているようで、それがなんだかうれしい。
こんな風に思うなんて、絶対に風邪のせいだ。まぶたが重くなってきた。
また睡魔が襲ってきているのだろうか?
氷の女王の気持ちが和らいで、氷が解けたら何になるんだろう。
欺まんと言われるだろうが、それでも俺の熱で彼女の氷を溶かしてやりたい。
「誤解してくれていいの。私、貴方のことが好きだから。風邪が治ったら、もっと貴方の事をいろいろ話してね。
だから、早く良くなってね。」彼女の声が耳元でした。
それに頷いて応える。
「俺も・・・・俺も好きだ。」
「ほんとに?」
「あぁ。」
「うれしい。じゃあ、やっぱり早く良くなってね。」
そう言って笑った彼女の顔は、氷の女王には見えなかった。
『早く良くなってね。』と言う言葉が、『早く春になってね。』に聞こえた。
あぁそうだった。
雪も凍りも解けたら、春になるんだと思った。
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2006.02.15up
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