衣替え




変な所で流行にどっぷりはまってしまうらしいお袋が、突然俺の部屋に尋ねてきた。
息子が心配で覗きに来てくれたのかと思ったら、何のことはない遠くて近い隣の国のスターを見に来たのだと言う。
その俳優の舞台挨拶が、俺の街の映画館であるらしいのだ。
「明日の朝、電車じゃなくて徒歩で映画館にいけるでしょ。何もホテル取る必要なんてないじゃないの。」
何を言うのかと思えば、わが母親ながらため息が出る。
親父はきっと何も言わないでいるのだろう。
同じ男として、少し同情した。
けれども、考えようによっては可愛いもんだとも思える。
どだいその俳優とはどうもこうもなれそうにない。
しかも相手は30代そこそこの美男子。
50代のお袋からしたら息子に近い歳だ。
そんな男にキャアキャアしているというのだから、詐欺にお金を取られたり、株に手を出したり、宗教に献金したり、そういう心配はしなくてもいい。
グッズを買うことくらいは大目に見てやれるというものだ。



泊まり賃代わりにと特上の寿司を奢ってくれたから、まあ許そう。
そんな夕食が終わって風呂に入り、ベッドと布団を並べて床につこうという頃、何を思ったかお袋は俺に尋ねた。
「ねえ、お前好きな女の子がいるんでしょ。」
推測でも質問でもなく断定の形だ。
「隠さなくてもいいのよ、母さん分かってるんだから。」
点数の悪いテストを見つけて後ろ手に持っている時のような、何かを企んでいるような嫌な笑み。
背筋がゾクッとした。
どんなに歳を得て、大人になったとしても親には敵わないと言う事だろうか。
「何を分かってるって?」
あえてとぼけてみる。



「しらを切っても駄目よ。母さん、お前が隣のあの子の事憎からずずっと想っているって知ってるんだから。どうするのかと思っていたけれど何も動かないし、あきらめてこっちで彼女を見つけるのかと思って見てたけど、どうやらその気はないようだしねぇ。帰省して来た時は、必ずどっかに連れて行ってあげてるじゃないの。宿題や工作なんか手伝ってあげてさ。
あの子ももう高校を卒業してるんだし、立派に女よ。
それに隣の奥さんに聞いた所じゃ、あの子にも彼氏はいないらしいし。
どんどん綺麗になってるんだから、このままにして置くと何処かの誰かに横取りされてしまうからね。
お前が本気なら母さん一肌脱ごうかと思っているんだけどねぇ。」
全部お見通しって事かと、がっくりした。
やっぱりお袋には敵わないらしい。
此処は潔く降参の白旗を掲げた方が得策だ。
そう思って右手を肩の辺まで上げてヒラヒラと振った。
「降参です。」
「まあ、珍しく素直だ事。でもその素直さに免じて、協力してあげるわよ。私もあの子なら大賛成だしね。」
今度は優しい笑顔でそう言ってくれた。



実の所、此処半年ほどは本当に仕事が忙しくて帰省出来ずにいる。
彼女の誕生日にと買ったフレグランスのビンもクローゼットに入れたままだ。
お袋曰く、どんどん綺麗になっていると言う彼女を、わが目で確認したいと思う。
それに会わないことで、俺の影が薄くなるのも心配だ。
何よりも恐れているのは、誰かが彼女の特別になってしまう事。
そうならないようにと男を感じさせつつも隣のお兄ちゃんを演じてきた俺。
お袋が解禁だと言うのなら、本気で動き出してもいいかもしれない。
でも、どうやって?



「お前、今度のお盆には帰ってくるつもりなの?」
「一応。」
「ふーん、じゃ、その時ね。私が上手く取り図るから、彼女をゲットしなさいよ。
お隣の奥さんにはちゃんと根回ししてあげるから。本当に好きな人と結婚できるって幸せな事よ。しかもこうして親も賛成しているんだし。彼女を逃したら、お前きっと当分その気になんてならないでしょ?婚期を逃すと、結婚できないものなのよ。で、そのまま時間だけが過ぎてゆく。気づいた時には、誰も相手にしてくれなくて一生1人てこともあるんだから。」
そう息巻いて説明してくれたお袋は、翌日お目当てのスターを見て満足して帰って行った。
必ず盆休みには帰省する様に言い残して。



電話で告げられた日の前日までに仕事を詰め込んで、何とか当日帰省できるように頑張った。
いつもより2日ほど多い休日を獲得することも出来た。
もし、彼女と上手く行きそうなら、デートの一つもできるだろう。
そんな期待もある。
そして当日の朝。
時間に間に合うように何とか帰ったはずが、少し遅れてしまった。
お袋怒っているだろうなぁ。
彼女にはどういっているのか知らないが、ホテルでの本格的なお見合い。
隣同士だと言うのに、この仰々しさはなんだろう?
ボーイに廊下を案内されながら、何度も首をひねる。
まったく何を考えているんだか。
おかげでこのくそ暑いのに、きっちりとスーツだ。
それもかなり本気でめかしこんだ。



「こちらです。」
そう言われて目の前のドアを入る。
部屋の中には、俺同様にめかしこんだお袋と相手の親子。
彼女にいたっては着物を着ている。
綺麗に化粧をした顔は、確かに彼女のものだけれど、初めて会った女性のようにも感じる。
それに何より美しい。
前に会った時の様に気軽に声が掛けられない。
向こうもこの場の雰囲気のせいなのか、それとも着物のせいなのか、いつものように話しかけてこないし、甘えても来ない。
どうにも気まずい。
そうしている内にそしてお決まりの『後は若い人たちで・・・』
なんて言い残してお袋たちが立ち上がった。
2人の帰り際の物言いたげな視線がとても痛い。



片づけがされている間は話さなくてもいいだろうと、だんまりを決め込んだ。
ソファに移ってコーヒーを口にして、食事の時のまま動かない彼女に話しかけた。
「どうせ、うちのババアが言い出したことなんだろう。ったく、予定が狂ったな。お前も言いなりになってないで、自分の気持ちは言わなくちゃ駄目だろ。」
もう少し気の利いた事は言えないのかと、我ながら悲しくなる。
これじゃ、俺がこの見合いを嫌がっているように聞こえるじゃないかと。
案の定、彼女は悲しそうな表情になる。
言葉がきつかったんだろうか?
どうすればいいんだろう。
どうすれば、今までのお隣のお兄ちゃんとその妹みたいな関係から、大人の男と女になれるんだろう?
季節が巡って、着ている服を着替えるように自然に変われたらいいのに。
そう思わずにはいられない。



気持ちはすっかり変化して幼馴染のそれでもないし、隣の妹のような女の子へのものでもなくなっている。
俺にとっては、唯一の女性のものへと。
タンスから中身を取り出して着ればいいように行かないのか?
困ったなと思っていると、俯いて何かを考えていた彼女が、意を決したように立ち上がって椅子から離れた。
でも、俺に近づいてくる様子はない。
「何処行くんだ?」
そう尋ねてみる。
尋ねなくても、ドアの方へと向いているから出て行くつもりなのは分かっている。
「帰ります。」と、彼女は振り向かないで返事をした。
「お見合いは、お兄ちゃんから断っておいて下さい。」
悲しげな、けれどもきっぱりとした物言いで彼女がそう告げて来た。



このまま帰せば、彼女は二度と俺の手には入らない。
それどころか、今までのように親しげに話しかけても来ないだろう。もう、幼馴染にも擬似兄妹のようにも戻れない。
そう分かっているから、俺は急いで彼女の元へと向かった。
ドアノブに手をかけた彼女の華奢な手に、俺の手を重ねた。
彼女が小さく息を呑むのが聞こえた。
同時にビクッと震える肩。白くて細いうなじ。薄紅に染まっている頬と耳。
全てが愛しい。
「駄目だ、予定が狂うだろ?もう少し待つつもりで、わざと帰らないようにしていたのにさ、ただでさえ予定が狂って早くなったんだ。
これ以上狂わせるわけには行かないよ。」
大人の男に見えるように、精一杯の虚勢を張って耳元に囁く。
本当はそんな余裕など全然ないのに。



包んでいた手で、彼女の手をドアノブから外させる。
そのまま俺の手に握りこんだ。
放さない。
彼女からいい返事をもらえるまで。
もっとも、お袋の話から彼女が俺の事を憎からず想っていてくれていることは間違いないのだと、聞かされている。
否とは言われないだろうと。
幸いな事に着物を着ている彼女は、走って逃げる事は出来ない。
動きは柔らかく大人しくゆっくりだ。
その瑞々しい若さを持った色気を感じて、クラッとするほどだ。
「ここで帰したら後がないからな。」
もう一度、耳元で囁いた。
逃がさないと教える為に。




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2005.10.09up