8月15日 盂蘭盆会
「帰省も面倒だと言うようになったら子供もつまらなくなるわ。女の子ならそうでもないんだろうにねぇ。まったくあの親不孝の馬鹿息子。
こうなったらどれだけでも早くに結婚させて、孫の顔でも見なくちゃね。
もうそれ位しか楽しみはないわ。」
幼い頃から親しくしている隣家のおばさんが、会社から帰宅途中の私を捕まえて、ため息混じりにそう愚痴った。
馬鹿息子呼ばわりされているのは、私の片想いの相手のお兄ちゃんだ。
彼は私の6歳年上だから、今年26歳になったはず。
兄弟のいない私を、彼はまるで妹のように可愛がってくれた。
「お兄ちゃん、休みに帰らないんですか?お正月には私が卒論の締め切りで会えなかったから、夏は会えるかと思ったのに。
もう1年以上会ってないのかな・・・。ちょっと寂しいですね。」
おばさんに同意するように私も頷きながら、そう話した。
お兄ちゃんにとって、私はどうしても会いたい人間じゃないことは承知している。
電話だってないし、メールも来ない。
彼のセピア色になっただろう記憶の片隅で、自分を追いかけてくる隣の女の子・・・・きっとそんな思い出として片付けられているに違いない。
「でもね、お嫁さんが問題よね。誰でもいいって訳じゃないのよ。
知り合いにお願いしているけれど、みんな帯に短したすきに長しでねぇ。」
何処のお姑さんでもそうなのだろう。
隣のおばさんもお兄ちゃんのお嫁さんには、夢があるはずだ。
そんな憂い顔をしたおばさんの視線が、私の顔を見て動かない。
じっと見られるとなんだか恥ずかしくなる。
「そう、そうよっ。どうして今までこれに気付かなかったのかしら、私ったら。
ねぇ、うちの馬鹿息子の事は、小さい頃から嫌いじゃなかったわよね?
2人ともいい頃合だし、結婚しない?もうね、騙してお見合いさせちゃおうと思うのよ。
ね?お母さんには私からお話しするから・・・・・お願いね。」
「えぇっ、でも私なんかだと、お兄ちゃんきっと怒りますよ。絶対、上手く行きませんよ。
お兄ちゃんに怒られた上に、お見合い断られると私、Wパンチじゃないですか。嫌だなぁ。」
何とかのがれようと思う私の言葉などおばさんの耳には入らないようだ。
「お母さんが言ってたけれど、今は恋人もいないんでしょ?貴女だったらあの馬鹿息子もとりあえずは怒らないと思うのよ。それほど小さい時から貴女だけは、特別に可愛がっていたもの。ね、お願い。」
両手を合わせて頼まれるとどうにも弱い。渋々ながら、私は頷いた。
お兄ちゃんが此処を離れたのは大学入学と同時。
高校時代までの彼は、綺麗な美人の彼女を連れて歩いていたのを思い出す。
いつか私も大きくなれば、彼女たちに負けないと幼心に思っていた。
でも、現実は厳しい。
大人と言われる年になっても私は彼女たちほど綺麗になれなかった。
綺麗なお姉さんには程遠い。
どんなに着飾ってもどんなに綺麗にメイクしても、お兄ちゃんは子供の背伸びとしか受け取らないだろうと思う。
それを思うと胸の奥がちくりと痛んだ。
きっとお兄ちゃんをとんだ茶番に付き合わせることになる。
おばさんはお兄ちゃんの元気な顔を見ればそれでいいだろうけれど、私は恥ずかしくて2度と顔を見れないかもしれない。
そういう意味では、長い片想いを吹っ切るきっかけになるのかもしれないと思った。
数日後の夕食で、母に念を押されて益々落ち込んだのは言うまでもない。
盛夏だというのに着物を着せられた。
母の娘時代の絽の訪問着。
母似の私には意外と似合う。
薄い水色にリンドウの花が描かれている。
せっかくだからとお見合いのホテルの美容室で髪を結ってもらった。
おまけにどれだけでも綺麗に見えるようにと、メイクもプロに頼んでみた。
仕上がった自分を鏡の中に見る。
「私って意外といけるかも。」
そんな言葉を漏らしてしまった。
「だいたい、お前はおしゃれや着飾る事に関心がなさ過ぎなのよ。
せっかく綺麗に生んであげたのに。
お父さんはいらない虫が寄って来ないからと何も言わないけれど、お前は磨けば光るのよ。これを機に、少しは綺麗にして頂戴ね。」
私とは違って、おしゃれにも美容にも関心の高い母が、鏡の中でお説教をしてくれた。
椅子から立って姿見で全身を確認する。
風呂敷包みでも持てば、お中元のCMにでも出られそうな感じ。
少なくとも子供には見えない。
まあ、お兄ちゃんの前で口を利いてしまえば、こんな外見の違いなど何もなかったように扱われるだろう。
きっと子ども扱い、妹扱いされるに違いない。
それでも、少しは私が成長した事を認めてくれたら良いと思う。
叶わぬ夢なんだと、自分に何度も言い聞かせてきた。
大学へ入ってお盆とお正月にしか帰ってこなくなっても、気持ちは少しも色あせない。
まあ、帰ってくればそれなりの付き合いはあったけど、それも妹の域を出ないもの。
ただの子供の憧れから、それは淡い恋に変わって行った。
あれは中学生の頃だろうか。
まるでグラデーションで変化していくように、段々思いは深く濃くなって行く。
手をつなぐだけでもと思っていた想いは、一度だけでも肌を合わせたいという大人のものへと変わっている。
一生一度の初めてを彼と一緒に・・・・と。
母親の言葉どおりに、見た目はそれほど悪いとは思わない。
だから、決してボーイフレンドに縁がなかったわけじゃない。
でも、いつもどこか冷めている。
相手に悪いから罪悪感も生まれて、長続きしない。
何時までもお兄ちゃんへの想いを引きずるのも自分でもどうかと思っている。
嫌々ながらでもこのお見合いを受けたのは、そんな自分との決別の為だ。
はっきりと『お前なんかOUT OF 眼中だ。』と言われれば、あきらめられるんじゃないかと。
ネガティブなやり方だが、自分じゃどうしようもないのだから仕方がない。
この際はっきり、きっちり振ってもらうしかない。
貴重な20代をお兄ちゃんへの片想いで過ごすのはさすがに嫌だ。
お見合いが終われば、今夜は送り火。
私の気持ちも一緒に、葬ってしまおうと思っている。
迎え火を焚かなければ、二度と帰ってこない所へ送り出そうと。
個室での食事は初めてだからなんだか嬉しい。
美味しい食事を食べられると思えば、それでいいかもしれない。
母とおばさんは楽しそうに話している。
時間はぎりぎりのところ。
ひょっとしたらお兄ちゃんはすっぽかすつもりかもしれない。
そんなことを思った。
「お見合いの相手のことは内緒だから、きっと驚くわよ。それにこんな綺麗なお嬢様になった所を見たら、絶対断らないと思うわ。」
そう確信犯的な笑いをするおばさんが恨めしい。
私の中では、お兄ちゃんに断られる事は既に了解済みだからだ。
ボーイさんに案内されてお兄ちゃんが部屋に入って来た。
私の顔を見るなり絶対に茶化して笑うと思ったのに、なんだか真剣な顔をしてこちらを見ている。
これは、相当怒っているのかもしれない。
そう思ったら、目の前の美味しい食事の味が口の中で飛んでしまった。
母とおばさんの楽しい食事が続いている中で、私とお兄ちゃんは黙ったまま。
後できっと怒られると思うと、視線を合わせるどころか顔さえ上げられない。
せっかくお洒落したんだからと、2人はこの後の散策の計画を立てて帰ることにしてしまったようだ。
そしてお決まりの『後は若い人たちで・・・』なんて言い残して立ち上がった。
母とおばさんの帰り際の物言いたげな視線がとても辛い。
食事の後片付けがされて、コーヒーだけがリビングテーブルに残された。
宿泊用ではない部屋だから、ダイニングセットの隣にはリビングセットがある。
会食や商談にでも使われている部屋なのだろう。
お兄ちゃんはさっさとソファに移ってコーヒーを口にしている。
私はそのままダイニングセットの椅子に座っていた。
「どうせ、うちのババアが言い出したことなんだろう。ったく、予定が狂ったな。お前も言いなりになってないで、自分の気持ちは言わなくちゃ駄目だろ。」
彼の言葉にやっぱり奇跡なんて起こらないものだと、小さくため息を吐いた。
彼にとっては迷惑なことだったと言うだけの事。
その事実が私には悲しかった。
今までにも何度も味わった事だから、もう慣れてもいいはずなのに。
それは、今は亡き人を偲んで迎える盛夏の行事のように、繰り返す度に切ない。
きっと私は毎年、葬った恋心を悼むに違いない。
それでも今回はあきらめられるかもしれない。
今家に帰れば、お母さんもいないだろうから泣くには遠慮がいらない。
何時までも此処にはいたくない。
そう思って立ち上がってドアに向かった。
「何処行くんだ?」
背中からかかった声に「帰ります。」と、振り向かないで返事をした。
「お見合いは、お兄ちゃんから断っておいて下さい。」
せめてこの決定は彼から下されたとしておきたい。
私からは断る気なんかないのだし。
ドアノブにかけた私の手の上に、後から男の大きい手が重ねられた。
「駄目だ、予定が狂うだろ?
もう少し待つつもりで、わざと帰らないようにしていたのにさ、ただでさえ予定が狂って早くなったんだ。
これ以上狂わせるわけには行かないよ。」
重ねられた手がそのまま私の手を包んだ。
「ここで帰したら後がないからな。」
耳元で囁かれた言葉に、頬が熱くなった。
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2005.08.05up
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