生きてく証  



帰ってくると、家には門灯だけがついていて、真っ暗だった。
「ただいま」  誰もいないと分かっていながら、つい声に出してしまう。
「そっか……早姫はパーティか」  
1週間前に彼女が書き込んだカレンダーを確認して、由鷹はソファに沈み込んだ。  
最近は、早姫が来るので、樫原が末武家に来ることはない。
彼女の年を考えると、そう迷惑もかけられないし。  
もっとも以前だって、樫原は毎日来ていたわけじゃない。
誰もいないことなど、高校までは当たり前だったのに……。  
いつの間にか、この家でひとりであることに、淋しさを感じるようになった。
「早姫……」  

早姫は堤商事と関係ない会社に勤めている。  
親の会社に入るのは抵抗があって、人並みに就職活動したのだ。
勤め先で、彼女が堤商事の社長令嬢だと知っているのは、会長だけ。
普段は社長令嬢と関係ない生活を送っている。  
そんな早姫だが、年末年始は父親のお供でパーティに連れ回される。  
この時期社交界はパーティが多く、社長夫妻の体を考えて早姫が付き添うのだ。
華やかな場所が苦手な早姫には億劫だが、仕方がない。
「失礼ですが、堤社長のお嬢さんですか」  声をかけられて顔を上げると、若い男性が立っていた。
「初めまして、私は成田理一(なりた りいち)と言います」
「堤早姫です。初めまして」  早姫はきちん、と頭を下げた彼に合わせて挨拶した。
その僅かな間に、数少ないデータベースから彼が成田産業の御曹司だという情報を引き出す。
確か、早姫より7歳ほど年上だったはずだ。
「何かお飲みになりますか?さきほどからずっと、こちらの隅に立っていらっしゃるようですが」
「あ……ありがとうございます」  早姫は笑顔を返した。
「こういった場所は苦手なので……わたしは父の付き添いですし」
「そうなんですか」  物腰の柔らかな青年は、そのまま早姫の側にいることにしたらしい。
通り掛かったボーイからソフトドリンクをもらうと早姫に渡し、自分はワイングラスをとって、同じように壁にもたれた。
「すみません」  グラスに口を付けながら、早姫は由鷹のことを思った。  
夕飯を冷蔵庫に入れておいたけど、ちゃんと食べたかしら……。  

成田はパーティが終わるまで、早姫の側にいた。
ひかえめに気を使って話し掛けてくれる成田は、好感が持てる男だった。
ただ、由鷹以外の男性が側にいるというのは、なんだか変な気分で、最後までなじめなかったけど。
「またお会い出来るのを楽しみにしています」  
帰り際、車に乗り込む早姫に、成田は言った。  
シートに体を預けた早姫を、厚生はちらり、と見た。
「お疲れ様」
「いいえ」
「成田くんと一緒だったのか」
「はい。いろいろ気を使って下さって」
「そうか」  厚生は少し黙った。
「……成田社長から、お前を彼と引き合わせてくれ、と頼まれたんだ」
「え?」  早姫はきょとん、とした。
「彼はお前を以前から知っているようでね。
結婚を前提に、とまで言って来た」
「そんなこと言われても……困ります」  眉根を寄せた早姫に、厚生は目を眇めた。
「由鷹くんは、お前とのことをどう考えてるんだ?」
「え……」
「先の約束がちゃんと出来ているなら、私も何も言わない。
彼はあんな仕事で、危険と隣り合わせだし、キャリアからいってもまだそんな事考えられないかもしれないが……
お前たちがちゃんと話し合っているなら」  早姫は黙った。  
由鷹と、そういう話をしたことはない。お互い心変わりする事なく、今まで来たけれど……。  
黙った娘を、厚生はじっと見つめていた。  

厚生が運転手に指示して、末武家に向かってくれた。
「明日は休みだから、こっちにいたほうかいいだろう」  
早姫が末武家に泊まるのは、もう当たり前の事になっている。
それだけ由鷹を信頼している厚生でも、年頃を迎えた早姫について、色々考えを巡らすものらしい。  
合鍵で家に入ると、微かにテレビの音がしたが、由鷹は出てこなかった。
「由鷹さん?」  リビングを覗くと、由鷹はソファにもたれて眠っていた。
机の上に、早姫が用意して置いた食事が半分ほど食べた状態で置いてある。
相変わらず、食の細い人だ。  
早姫はちょっと微笑んで、食器を片付けに台所に立った。  
水音に気付いて、由鷹が目を開ける。
「……早姫?」
「ごめんなさい、起きちゃった?」
「ああ……パーティ終わったのか」
「うん」  
手早く洗って食器乾燥機に仕舞うと、早姫はコーヒーを入れてリビングに戻った。
「ありがとう」
「お疲れ様でした」  早姫に微笑んで、由鷹はカップに口を付けた。
「早姫、明日休み?」
「うん」
「じゃあちょっと、ゆっくりしよう」  柔らかく頬に触れて、キスをする。
パーティコードのままの早姫は、腕やデコルテが剥き出しになっていて、ちょっと寒そうだ。
早く着替えたほうがいいとは思うのだが……。
「由鷹さん……お風呂は?」
「まだ後でいい。先に触れさせてくれないか」  
早姫はふわり、と微笑んで、由鷹を抱きしめた。  

あの夏からずっと、傍にいるのが当たり前だった。  
例えば抗えないほどの力が、二人を認めないとしても、離れることなどできないほどに。  

仕事が終わって携帯を見ると、『早く終わったから、食事でも行こうか』と由鷹からメールが入っていた。
『今から着替えるよ』と返すとすぐ返事が来た。
『じゃあ会社まで迎えに行く』  今日は珍しく車らしい。
バイクなら、末武家で待ち合わせなければならないから。  
顔を綻ばせた早姫に、同僚が声をかけた。
「早姫ちゃんデート?」
「あっ……はい」  
恥ずかしそうに頷く早姫に、いいわねぇ、と声が上がる。  
急いで着替え、僅かな化粧を僅かに直して、玄関に向かう。
「早姫さん」  呼び止められてそちらを見ると、成田が立っていた。
「どうして……」 「申し訳ありません、父に頼んで調べてもらいました」  
不振そうな顔をした早姫に、素直に言う。 「もう一度、ゆっくりお話がしたくて」  
退社する同僚たちが、ちらちらと視線を向ける。
見るからにしつらえのいいスーツを着て育ちのいい雰囲気の成田と、一介のOLである早姫の取り合わせは、同僚には不自然に映るだろう。
「あまり時間がないのですが……ここではちょっと目立ちますので」  
早姫は近くのコーヒースタンドを示した。  

向かい合って座ると、成田はストレートに言った。
「お父上から聞かれたと思うのですが。僕と付き合っていただけませんか」  
早姫は手の中にカップを閉じこめたまま、成田を見つめた。
「2年ほど前、同じようにパーティで早姫さんをお見かけして、それからずっと、忘れられなかったんです」  
彼のまっすぐな瞳と、飾らない言葉は、好感が持てる。
早姫が知っているいわゆる「御曹司」と呼ばれる人たちの中では、ごくごく普通の人たちに近いのではないだろうか。  
だけど、彼が好青年であるということと、早姫の気持ちは違う。
「申し訳ありません……わたし、おつきあいしている方がいるんです」  成田はちょっと目を細めた。
「多分、その方以外、好きになることはないと思います」
「……堤社長は、ご存じなんですか」
「一応、認めてくれています。
けれど、先日成田さんとお会いしたパーティの帰りに、
この先の約束が出来ないのであれば、わたしのためにも関係を考え直す、と言っていました」
「その方と、結婚されるのですか」
「まだ分かりません。そういう話は、したことがないですし。
でも、結婚するとしたら、彼以外は考ていません」  
早姫の柔らかな声で、そんな強い決意が告げられるとは、成田も思っていなかったらしい。
目を見開いて、彼女の言葉を聞いている。
「……もし、周りがその結婚を反対したら?」
「父が反対するとは思っていませんが、もし、もろもろの事情から反対されたとしたら……駆け落ちでもします」
「1たす1は2」とでも言うように、簡単に導き出された結論。
それは、早姫にとって、由鷹という男が全てであるという事実だった。  
成田はまじまじと早姫を見つめた。
初めて見た時から、彼女に惹かれた理由が、何となく分かった気がして。
「……そこまであなたに愛されている男性が、うらやましいですね」  
ぽ、と頬を染めた早姫を見て、成田はにこり、と笑った。  

成田が立ち去って、早姫も店を出よう、と思ったら、由鷹が前に立った。
「由鷹さん」 「男と二人でナニを話してるかと思ったら……」  
怒っているようには見えない顔から、話の内容を聞かれていたと分かる。
早姫は赤くなって、彼を睨んだ。
「盗み聞きは良くないっ」
「俺を誰だと思ってるんだよ?刑事は盗み聞きも仕事の一つ」
「仕事じゃないでしょ、これは」  
む、と頬を膨らませた早姫に、由鷹はくすくす笑って、それからちょっと、真面目な顔になった。
「早姫、今週の土曜日、暇?」
「え?うん、お休みだけど」
「ちょっと付き合って」  早姫は忙しく瞬きして、頷いた。  

土曜日。  
由鷹が早姫を連れてきたのは、郊外にある霊園だった。
「ここ……」 「お袋の墓があるんだ」  早姫は由鷹を見た。  
無造作に新聞紙にくるまれた花をぶら下げて、手桶に水をくむ。
早姫はその由鷹の後ろを、黙って付いていった。  
その小さな墓は、他の墓に比べて手入れが行き届いていた。
周りの草は綺麗に引かれていたし、花も、つい最近替えたように鮮やかだ。
「俺や親父がこなくても、晴嵐会のかあさんや樫原の家族が、お参りに来てくれるから」  
それは、ここに眠る人が、彼らの心で生き続けていることを意味していた。
「……本当は、もう少し後になってから、早姫を連れてくるつもりだったんだけど」  
手を合わせた後、由鷹は立ち上がって言った。
「え?」
「ここにお前を連れてくるのは、この先の見通しが立ってから、って思ってたから」  
早姫は由鷹を見上げた。
「俺はまだ駆け出しの刑事で、それもあまり安全とは言えない管轄にいるし、
堤社長からしたら不安だらけかもしれないけど……でも、早姫を幸せにする自信だけはあるから」
「由鷹さん……」
「まだ、いつって約束は出来ないけど、俺と結婚してくれないか」  
見開かれた大きな瞳から、涙がこぼれる。  
ぽんぽん、と優しく頭を叩かれて、早姫は由鷹に抱きついた。
「……はい……!」




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砥子さま、グラビュール2周年おめでとうございますw
お祝いと言っては何ですが、由鷹と早姫の、ちょっと未来のお話を提供させていただきます。
お気に召していただけるといいのですが(^^) これからも、素敵なお話を楽しみにしています☆

鹿室 明樹 拝
サイト2周年にお祝いを頂いてしまいまいした。
私が大好き・・・と言う事で、わざわざこの由鷹君と早姫ちゃんのラブラブな未来を
書いてくださいました。ありがとうございます。とっても嬉しいです。

鹿室様のサイト【GLACIAL HEAVEN】様へは「Link」や「Gift」ページにリンクがあります。
素敵な作品に出会えますよvv 是非どうぞvv