TRICK OR TREAT



「おいバイト! これ、コピー20枚」
アルバイト先に出向いて部屋に足を踏み入れた瞬間、そんな声
が私に向かって飛んできた。
声の主は、いちいち顔を確認しなくても分かる。
 ――神田昴、である……。
やつは、私がアルバイトでお世話になっている会社の社員。
ここは食品関係の会社で、海外に支店もいくつかあり、規模としては結構大きな企業である。
たまたま、知り合いのコネでここの仕事を紹介してもらった大学生の私は、半年前からこちらに足を運んでいるのである。
現在3回生の私は授業が全くない日もあって、そんな日だけ、勤労少女となってがんばって働いているのだ。
土、日は会社自体がお休みなので、平日に大体週2回のペースかな。
行ける日には、平日の午後や夕方からも働いている。
アルバイトという形で働いているのは、私1人だけ。
仕事はコピーをとったり書類の整理をしたりと、主に雑用と言われる類のものだけど、コネでお世話になっているので、文句も言えない。
ま、お給料頂けるだけで十分なのです。
居心地だって悪くない。みんな親切で、人間関係もすごく楽だから。
と言いたいところなんだけれど、約1名、私にとっては天敵のような人物がいる。
それに該当する人物の名は、神田昴。


そう。先程、いきなり私の事を「バイト!」と呼びやがったやつ。
私には、両親が命名してくれた立派な名前があるのだ。
それなのに、あいつは私の事を1度も名前で呼んだ事などない。
本当に失礼極まりない。
確か今25歳だったかな。神田昴は。
外見は、結構いけてる方だと思うわけよ。私服姿は知らないけれ
ど、スーツ姿はさまになってるしね。ピンストライプのスーツに、クレリックシャツが最近のあいつのお気に入りみたい。
袖なんかダブルカフスだし。
ネクタイも、イタリアに本店のある有名ブランドのものが多い。
けれどあいつは、いくら外見だけは良くても中身が最悪なのだ。
「おいバイト!」
と呼ばれるたびに、こっちも心の中では
「なんだとテメー!」
なんて、ちょっと下品な言葉を返しているが、それを口に出すほどの勇気は、私にはないのである。


神田昴は、何かにつけて私に雑用を押し付けてくる。
そんな事はお前で出来るだろうが! と言うようなものまで、だ。
例えば
「これ。ホッチキスで右上留めとけ、バイト」
と言われるからには、何部も書類があるのかと思いきや、たった1部。
テ、テメーでやれよ! 目の前にホッチキスあるだろうが!
「おい。ここ。ボタン取れたから付けといてくれ。バイト」
と、スーツのジャケットを放り投げられる事だってある。
テ、テメーから特別手当の給料頂くぞ!
…………。


とにかくここに来ると、いや、神田昴と顔を合わせると、私の言葉遣いが段々と悪くなっていく。
女の子がそんな言葉を使ってはいけません! 
とおっしゃるのであれば、どうか、神田昴を怒ってやって下さい。 
もうこれは、はっきり言って嫌がらせ以外の何ものでもない。
嫌われるような事をした覚えはさらさらないのだけれど、嫌われちゃったものは仕方ない。
あえてその理由を聞き出そうとも思わない。
だから、私はなるべく神田昴とは係わらない様に努力をしているのだ。


そんなある日、神田昴が出張に行くことになった。行き先はスイスのジュネーブ。
しかも2週間!
「永久出張してこいや!」
とはこれまた口に出しては言えなかったのだが、密かに諸手をあげて万歳をしたあげく、自宅に帰ってから小躍りしたのは言うまでもない。
たった2週間だけど、開放的な気分で仕事が出来るなんて。
うーん、なんて素敵なの。
せっかくだから、ダイアリーにハートマークなんか記入しちゃう?
知らない人が見ると誤解されそうなぐらい、ハートマークで埋め尽くしちゃう?
もう私の頭の中は、そんな事でいっぱいなのであった。


けれど2週間なんてあっという間に過ぎ去って……。
残念だけど、再び神田昴と顔をあわせなければいけない日々が始まった。
と言っても、私がやつと顔をあわせなければいけないのは、バイト のある日だけなのだが……。


そんなあいつは、社のみんなのお土産に生チョコを購入していた。
ジュネーブに本店のある、有名店の生チョコだ。
今でこそ日本でも通信販売で購入出来るようにはなったけれど、少し前までは、わざわざ個人輸入しなければ日本では手に入らなかったメーカーのもの。   
神田昴はみんなにそのお土産を配っていたのだが、なんと私の分だけ無し。
…………。
……ムカツク。
そ、そりゃあお土産だから、こちらから催促は出来ないけれど。
よりにもよって、私にだけくれないなんて。
なんて意地悪なやつなんだ! とムッとしていると、神田昴は私に残業を言いつける。
「出張帰りで仕事がたまってるんだ。どうせ暇だろ、手伝えバイト」


ようやく仕事が終わった頃には、私たち以外には、もう誰も社内に残ってはいなかった。
社のビルを出てから駅までの道のりを、神田昴と歩くことになる。
たった10分程の時間だけれど、私にとっては苦痛である。
やつも私がいやなら先に帰れば良いのに。


「お前には土産はなしだ」
歩きながら、突然神田昴はそんなことを口にした。
それは分かったから、いちいち言わなくてもよろしい! 面と向かって失礼な!
「結構です。神田さんから何か頂こうなんて、これっぽっちも思ってません」
自分でも可愛くないなと思いながら、ツーンとした態度で返してしまう。
食べ物の恨みは深いのだ。


「……あ、そ。その代わり、あんなチョコよりもっと良いもんくれてやるよ」
あ? もっと良いもん? そんなものはないんだよ! 
私の中では、ここの生チョコがベスト1なんだよ! バーカ! 
と心の中で悪態をついてみせる。
 そんな私の方へ、神田昴は急にくるりと顔を向けてきた。
ゲッ! もしかして、今の口に出しちゃってた?
「す、すみま……」
思わず謝ってしまう私を、神田昴はぐいっと引き寄せて……。
彼の2本の腕のうち、片方は私の腰に。
もう片方は私の後頭部にまわされて……。
力強い腕の力とは反対に、優しい優しい口づけを何度も与えられる……。
――な! 何なの!
突然の出来事に、こちらはパニック状態。
強い力でまわされた彼の腕から逃げる事も出来ず、私はただなすすべもなく、彼から与えられる甘い口づけを受け入れるしかなかった。 


 ――どれぐらいの時間が経ったのか……。
名残惜しそうに甘い余韻を残しながら、彼は唇を離し私を見つめてくる。
その真剣な眼差しにドキッとしながらも、私は彼に疑問をぶつける。
「な、んで、いきなり……」
「お前、今日が何の日か知ってるか?」
は? 今日?
「今日、ですか?」
「おう。世間ではハロウィンと呼ばれる日だぞ」
「それがどう関係があるんですか……」
「トリックオアトリート、だ」
Trick or treat? お菓子をくれなきゃいたずらするぞ! ってやつ?
「食いもんなんかより、絶対こっちのが良いだろ?」
それでもまだなお状況を理解出来ない私の耳元で、彼はささやく。
唇は開放されたが、私の体は、いまだ彼の腕の中にすっぽりと抱え込まれたままなのだ。
――魔法だよ。魔法。
――トリックオアトリート。魔法を掛けられたいか、お菓子をくれるのかって言うだろ?
…………。 
は?
「そ、それって何かおかしくないですか? 
私がお菓子をあげなかったら、魔法を掛けるぞってことじゃないんですかね?」
「うるさい。細かい事をいちいち気にするな」
な、なんてやつ!


――俺を好きになれよ。な? 明日香。 
なんて私の耳元でささやきながら、そこから移動して来た彼の唇が、再び私の唇と重なった。
――明日香……。
彼の唇からはじめて発せられたその言葉は、私の体に痺れを走らせる。


「俺の愛情表現にいい加減気付けっつーんだよ」
鈍いんだよ明日香は。と、彼は言う。
わ、分かるか! 


――どうやら、嫌がらせだと思っていた数々の行為は、彼なりの愛情表現だったようで……。
――どうやら、そんな強引な彼の魔法は、みごと私の心に揺さぶりをかけてしまったようで……。 


キスという名の甘い魔法に私が完全に掛かってしまうのは、そう遠くない、話し。



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