ロマンスから始めよう


 高校まで徒歩20分の通学路。その間に信号が一つ。
 朝、倉石羽鳥(くらいし はとり)が信号で足を止めるのとほぼ同時に、隣で止まる自転車の音。
「おはよう」
「おはようございます」
 桜橋要(さくらばし かなめ)、同じ高校の商業科の2年生。
毎朝この信号で出逢って、校門まで一緒に行く。それだけの知り合いだ。
 出会いは第2回定期考査の最中。
ノートを見ながら歩いていた羽鳥は、何かにつまづいて転びそうになった。
 べちゃ、と行きかけた体を誰かの腕が掴まえてくれて、間一髪、
地面との激突は回避されたが、その腕の持ち主が、要だったのだ。
「あーびっくりした」
 その時要は、片方の手で自転車を支え、もう片方の腕を羽鳥に伸ばすという器用な体勢で、笑っていた。
「あっ、ありがとうございますっ」
「あーあぶねーなーって思ってたら、転んだ」
 屈託なく言う彼に、羽鳥は真っ赤になって何度も頭を下げた。
 それから信号で会うと挨拶するようになって、いつの間にか校門まで一緒に登校するようになったのだ。

 校門をくぐって、羽鳥は校舎へ、要は駐輪場へ向かう。
それからの一日はお互い別の時間を過ごし、広い校内では出逢うこともない。
 そもそも最初、羽鳥は彼の名前すら知らなかった。ある時一緒に登校していた彼の背中を、
「カメちゃん、おっはよっ」
 と女子生徒が叩いて通り過ぎ、やっと彼の名前を知った。
「……かめ……?」
 きょとん、としている羽鳥に、要は苦笑いした。
「桜橋要。だからカメ」
「……かわったニックネームですね」
「あはは、子供の頃からだからね」
 それから羽鳥は、彼を「カメ先輩」と呼ぶようになった。
 と言っても、僅か数分の登校時間で、
彼の名前を口に乗せることは、あまりないのだけど。

 要は商業科で羽鳥は普通科。
 校舎が分かれていることも、二人が登校時しか会わない要因かも知れない。
2つの科が共有しているスペースは、購買と学食と図書館。
昼休みに会わなければ、まず会わないのだ。
 だから羽鳥は、一日要のことを忘れていることもあるのだが、
ある日偶然、校内で彼を見つけた。
 その日は部室の引っ越しで、羽鳥たち合唱部は旧部室から
音楽室の隣の新部室に引っ越しをしていた。
 一段落ついて新しい部室から外を見ていたら、
窓の下を弓道の胴着姿の要が歩いていくのを見つけたのだ。
(弓道部だったんだ)
 ガタイがいいので何かスポーツをしているだろうとは思っていたが、弓道だったとは。
 ふ、と要が顔を上げる。
 ぱち、ど目があった。と羽鳥が思った時、要が大きく手を振った。
(えっ?あたしっ?)
 周りを見回しても、他に人影は見つからない。
間違ってたらやだなぁ、と思いながら、小さく手を振る。
 要はにっこり笑って頷いて、もう一度大きく手を振った。
 何だか、二人だけの秘密みたいで、羽鳥はドキドキしながら、手を振り返した。

 それから、朝と部活前の2回、2人は顔を合わせるようになった。
 部室と音楽室の鍵を開けるのは1年生の羽鳥の役目で、
羽鳥が窓を全開にすると、タイミングを合わせたように要が窓の下を通る。
 急いでいるとそのまま走り抜けていくこともあるがそれは稀で、
要は必ず、羽鳥のいる窓の下で足を止めて見上げ、手を振ってから弓道場へ向かうのだ。
 弓道場は音楽室のある校舎の隣なので、窓を開けていると、
矢が的に当たるタン、タァン!という音が聞こえる。
その清廉な音を聞くのも、羽鳥の楽しみになった。
「弓道、いつからやってるんですか?」
 ある朝、弓矢を持って登校してきた要に、羽鳥は聞いてみた。
「小学校から。近所に道場があって。そのまま何となく続けてる」
 そうは言うが、要は弓道部の主将だ。全国大会常連の弓道部で、
2年生主将というのはすごい、と思う。
「弓道場ってさ、丁度、音楽室からの声が上から降ってくるんだよ」
 要は言った。
「え?そうなんですか?」
「うん。で、知ってる声だからかな。一番声が立って聞こえる」
「そ、そうですかっ?」
 微笑んで言われて、羽鳥は自分でも分かるくらい赤くなった。

 昼休みにミーティングがあって、羽鳥は部活仲間と一緒に部室で弁当を食べた。
 食べ終わって、何気なく窓から外を見ていると、見慣れた胴着姿が視界をかすめていった。
 要だ。
 そう言えば、大会が近いから昼練をする、と朝言っていたことを思い出す。
 気づかないかな……思わず体をを乗り出した時だった。
 1人の女子生徒が要を追いかけてきて、背中に抱きついたのだ。
(?!)
 女子生徒は要の首にぶら下がるようにして何か話しかけ、弁当の包みらしきモノを渡した。
 彼は面倒くさそうに首を振って突っ返したが、
結局押しつけられて、にこにこ笑顔の女子生徒を睨み付けている。
 満足そうに帰る女子生徒を見送った要が、ふ、と視線を上げて、羽鳥は思わずしゃがみこんだ。
 なぜ隠れるのか自分でも分からなかったが、とにかく、隠れた。
(……彼女、なのかな)
 心の呟きに、どくんっ、と体中が反応する。
 それが何なのか、理解するのは簡単だ。
(あたし、カメ先輩のことが、好きなんだ)
 想いが言葉を伴って、羽鳥は体温が二度ほど上がった気がした。
 嫌いなら、毎朝一緒に登校したりしない。
 何とも思ってないなら、毎日窓から彼に会うのを楽しみにしたりしない。
 好きだから、無意識に彼を捜すし、こんなにも体中の細胞が反応する。
 心臓が跳ねた、というより、細胞がざわつく感覚に襲われながら、羽鳥は思った。
 知ってる事なんて片手で足りる程度の相手でも、
好きになるのはこんなに簡単で、コントロール不可能なことなんだ。
 人を好きになるのに、理由はいらない。

 その日の放課後、羽鳥は窓際で要を待たなかった。
 気持ちを自覚したせいで、いつものように彼を見ることも、
手を振ることも出来そうになかったからだ。
 明日の朝どうしよう。
ふわふわと落ち着かない心を引きずって校門を出た羽鳥の肩を、誰かが掴んだ。
「間に合った!」
 息を切らした要が、にっこり笑いかける。突然のことに、羽鳥はその場に硬直してしまった。
「な、なんでっ……」
「部活、早めに、終わったから」
 要は息を整えながら言った。
「今日の昼休みさ、部室にいただろ?」
「あっ……はい」
「手振ったんだけど、すぐ中に引っ込んだから、気づいてなかったのかと思って。
今日の放課後も、いなかったし。どうかした?」
 どうしてこの人は、自分のことをこんなにも気にするんだろう?
羽鳥は戸惑いながら、真っ直ぐな要の視線から目をそらした。
「……あの……女の人と一緒だったから……邪魔しちゃダメかなって思って」
「女の人?」
 要はきょとん、として、それから笑った。
「昼休み一緒にいたのは、姉貴だけど」
 今度は羽鳥がきょとん、となる。
「お、ねえさん?」
「そう、3年生。うちの部長と付き合ってて、弁当渡してこいって押しつけられたんだよ」
 顔をしかめて言う要に、羽鳥は思わずほ、と息をついてしまった。
「……おねーさん、かぁ」
「俺が女の子と一緒にいたら、なんかまずかった?」
 要がくすくす笑う。そう聞かれて羽鳥が赤くなった理由を、知ってるような口振りだ。
「それは、俺をそういう対象として見てくれてるって、思っていいのかな?」
「あっ……のっ……」
「俺と初めてあった時のこと、覚えてる?」
「……あたしが転んだ時のことですか?」
「そ。あの時俺が助けたのは、別に偶然じゃないんだよ」
 羽鳥は要を見上げた。
「俺はずっと前から、通学路で一緒になる女の子のこと知ってて、いつも見てた。だから、
君が転んだ時、タイミング良く助けることが出来たんだよ」
 誰だって、気になってるコのこと、見てるもんなんだよ。要は照れたように言った。
 そんな彼を見ながら、羽鳥は、やっぱり好きだな、と思った。
どこがどう、と説明することは出来ないけど、好きだ。
彼と一緒だとドキドキして、それが心地いい。
こんな感覚、好きじゃなきゃ生まれない。
「倉石羽鳥さん」
 要が呼んだ。
「君が好きです」


なんと、「グラビュール」の相互の為に書き下ろして下さいましたvv
とっても嬉しい作品です。
鹿室様のサイト【GLACIAL HEAVEN】様へは「Link」や「Gift」ページにリンクがあります。
素敵な作品に出会えますよvv 是非どうぞvv